政治の時代!安保闘争で日本中が過熱した

今では国民の政治離れがTVで取り上げられるほど、日本国民は政治に関心を抱いていない事が問題視されていますが、昭和のある時期までは、日本国民は非常に政治に深い関心を抱き、政治活動にいろいろな形で参加していました。特にその政治的関心がピークに高まり、過熱したのは安保条約締結の時で、連日デモ隊が国会に押し寄せるなどの大騒動となり、「安保闘争」と呼ばれるものに発展したのです。安保闘争には文化人が紙面などで論争するに留まらず一般国民がデモ隊を組織するというように、国中がその動向に注目していたのですね。

その問題の中心となったのが安保条約(日米安全保障条約)でした。今でも日本国内のいくつかにアメリカ軍の基地が存在しますが、これも日本がアメリカ軍の力を借りてアジア県内での安全を確保してもらうという安保条約の内容に沿った形で存在しているのです。経緯を知らない現代の人は何でアメリカ軍を国内においてまで守ってもらう必要があるのか?と思うかもしれませんが、当時日本はまだ自衛隊もできたばかりで国防という認識は有りましたが、特に当時の大国ロシアなどに侵攻された時、守る力が無い事は確かでしたので、アメリカの軍事力という傘の下に入る必要が有ったわけです。

その安保条約がどうして問題になったかというと、その条約の中に、有事(戦争が起こった時など)には自衛隊が米軍を支援するという内容も含まれていたからでした。当時の日本国内では、政治・政策については様々な意見・認識が有りましたが、とにかく戦争はもう2度とやらない、というのが、共通認識として有ったと思います。条約の支援という内容が、アメリカが戦争したら、日本も巻き込まれる事が有る、という事も感じ取れる内容だったんですね。つまり安保条約反対といスローガンでデモ隊が組織されていた訳ですが、内容的には、「再軍備反対」「戦争反対」の内容がその中心に有ったわけです。

昭和30年の時代背景を少し見てみますと、昭和26年にサンフランシスコ講和条約でアメリカの支配下から抜け出た訳ですが、そこからは朝鮮戦争の特需も有って、経済的にもやや落ち着きを取り戻し、政治的も割と安定してきます。その後の日本の政治体制の基礎となる自民党が与党となり、対立野党として当時は社会党でありましたが、55年体制と言われる体制が出来上がり、戦後からやっと日本国内が落ち着きを取り戻してきた言える時代でした。昭和31年の経済白書に書かれた「もはや戦後ではない」という一言が当時の流行語となり、また時代を一言で言い表した言葉でも有りました。落ち着きを取り戻した日本国内が改めて、今後日本はどうしていくべきかという事に関心を持ち始めた時期と言ってもよかったでしょう。

政治に関心を集める事柄が他にもいろいろと有ったのですが、例えば、警職法、これは警察の職権を実質上げ、また政府が警察権力を握れるようになるものでしたので、当然反対運動が起こりました。また勤務評定法、といって学校教員の評定を政府で行うというもので、これも教育を支配下に置くものだとして非常に反発が起こりました。米軍基地問題も以前から有った関心度が高い問題でした。安保問題が一つピークとして有りましたが、いわば「政治の時代」であり、これから日本がどうなっていくかという関心が出始めていたという事も有り、国民の関心が非常に政治に向いていた時代だったのです。

当時の岸内閣が安保条約は強引に推し進め、最後には議会で可決する訳ですが、この可決の直後、岸総理は辞職して、経済復興の池田内閣の時代に移り変わっていくのでした。