いろんな事が有りすぎた!占領下から独立へ、混迷の時代

敗戦から日本はアメリカの占領下に置かれる事になった訳ですが、その時代は1952年のGHQ撤退まで続きます。GHQとは連合国軍総司令部という意味ですが、実際はアメリカ進駐軍で日本統治の実験を握っていました。アメリカは悪いのは現政権であり、平和の為の統率という名目で統治に来た訳です。現代でもイラク戦争により、サダム・フセイン政権が崩れ去った後、アメリカが臨時政府を保護下に置きましたが、GHQはその走りと言ってよかったでしょう。占領下の時代は、政権もその支配下に置かれていましたので、GHQが絶対権力を持っていたのです。

イラクへの介入でも、アメリカの外政干渉で有る事が批判されたりしますが、日本の占領も例外でなく、アメリカの世界戦略・アジア戦略を色濃く反映していた物でした。しかしその恩恵も大きかったと言わざるを得ず、前項で述べた通り、農地改革、財閥解体などは、日本単独でできたとしても恐らくもっと時間が掛ったでしょう。戦後の政権をみても一時期からは自民党の1党独裁で来ています。議会政治を取っている国で1党独裁がここまで続く国も珍しく、日本人が抜本的な改革が基本的には苦手な民族性が有る事が伺えます。そういった意味では、この占領下で下された数々の改革に意義が有った事は認めざるを得ないのです。

とはいえ、占領下当時の日本は混迷を極めていました。まず、今までアジア諸国に領土を広げていった訳ですが、敗戦により、1日でその領土を失ったわけですから、みんな急いで引き上げてきたわけです。ところが引き上げてきた人どころか国内でさえ、焼け野原でしたから、住むところ無く、その日の暮らしさえままならない人達が日本中に溢れていたわけです。そんな中、政府がどうなっていたかというと、当時の主たる政権トップはことごとく裁判で捕まってしまいましたし、新しい政権が生まれましたが、まず何から手を付けていいかわからない状態でGHQからは次から次へと難題を持ちかけられ機能していない状態でした。

もう上から下まで大混乱だったわけです。前述した通り、GHQ統治下の改革で日本が良い方向に変わった事はいくつも有ったのですが、とにかく当時の政権・権力を一回潰す事から始めていたわけなので、ただでさえ混乱している状況でそんな事をしたので国中が大パニックに陥っていると言っても良い状況でした。ともかくそんな状況下の中GHQの統治は始まっていたわけですが、GHQの統治方針というのは、まずそれまでの日本の軍国主義を徹底的に潰すという事でした。しかしこれには一つ重要な問題が有りました。それは天皇をどうするかという問題です。

というのも、GHQ、特にその統括であったマッカーサーは、天皇制が日本人にとって、非常に根深いもので有る事を良く理解しており、下手な扱いをすると、統治どころでは無くなるという事もわかってました。ある意味軍国主義の頂点にいた天皇というものをそのままにしておくわけにはいかないのですが、かといって、無くす、処罰するという事になると、日本人は非常に抵抗をするだろうという認識が有ったのです。GHQもまた日本の統治の仕方に頭を悩ましていたのですね。結局実験の無い、国に象徴であるという立場に落ち着いた訳ですが、この天皇問題については、前政権も、交替した政権の誰もが、非常に神経質に、真剣に考えていた事は確かなようです。

1952年にサンフランシスコ講和条約で日本は統治下から作りとを果たします。ここまでも長い道のりでは有ったのですが、この時決められた条約内容や、統治下でのいろいろな政策がその後の日本に大きな影響を与えたのでした。