今の中国にも全然負けていない、壮絶日本の公害の歴史

現在高度成長を遂げている中国では公害の問題が良く取りざたされますよね。2014年の10月に行われた国際北京マラソンでも北京市内を覆うPM2.5のスモッグが酷くリタイヤが続出したなんて事も報道されていましたが、いまや中国は公害大国になってしまい、今の日本からすると信じられないニュースばかりです。そんな事が許されるなんて絶対におかしい、普通じゃ考えられないと思ってしまいますよね。でも実は日本もそれに勝るとも劣らぬ公害大国だった時代があるんですね。

高度経済成長期は日本を経済大国2位までに押し上げ豊かな暮らしを実現させるわけですが、その裏でその代償ともいえる公害事件が起きていたのです。その公害被害は甚大で、訴訟が半世紀近く経つ現在でも継続している者も有るんですね。そんな事が有った事自体信じられない現代でも当時の問題はまだ解決されていない事もあるのです。公害事件として有名なのは、いわゆる4大公害事件の「四日市ぜんそく」「熊本水俣病」「イタイイタイ病」「新潟水俣病」ですね。これらの発症は日本の高度経済成長期に集中していました。

その中でも特に有名な「熊本水俣病」は熊本県水俣にある化学製造業のチッソの工場から排出される廃液がその原因となっていました。今ではその原因も解明されている為、公害と認められ、訴訟となっている訳ですが、当時は原因不明の病気として扱われ、病気にかかった人が差別されてしまうような事態も発生したいたのです。まず現在解明されている水俣病の原因からお話ししますと、これは工業廃水に含まれるメチル水銀が海にそのまま排出され、それを体内に取り入れた魚介類を口にした人へと移り、水銀中毒症状を引き起こすというものです。

水銀中毒の主な症状は神経系が全般的にやられる為、聴覚・視覚が衰えたり障害を受けたり、手足のしびれや、言語障害・平衡機能障害など、普通の生活もできなくなり、重症になると普通に立っている事も困難になるのです。こういった症状を訴える人は昭和28年頃から発生していたと言われています。しかしまだ当時は少数であったのと原因が不明な為、原因不明の難病扱いされ、周りの人から差別を受けてしまうという状態でした。しかし経済成長に連れ工場稼働率も高まり被害者も増えていきました。そして原因がチッソの工場排水にあるのでは、と調査に乗り出したのは昭和32年頃でした。

しかし当時経済成長を推し進めていた国は、企業保護の姿勢を取っていて、この調査に対してなかなかその事実を認めませんでした。確固たる証拠がなかなか見つからなかったというのも有りましたが、訴訟は長期化し、10年以上も被害者は放置された状態となってしまいました。ようやく判決が出てチッソの過失が認められたのは昭和43年になってからでした。その間、地元での争いも起きてしまいました。チッソや工業系の会社に勤めている人は、やはり公害の事実を認めなく無かったですし、工業が衰退すれば街そのものが以前の産業が無い貧しい状態に戻るのじゃないかという危機感が有ったからです。

その他の公害についても似たりよったりの現象が起きました。大きな工場は街にそれだけ大きな利益をもたらしてくれたのです。経済復興に沸き、それが自分たちの生活を豊かにしてくれているという事実の前で、それに冷や水をかけるような事実には目をつぶりたいというのがみんなの本音に有ったのでした。しかしその後の長期に渡る地道な対策は日本を公害対策の先進国にしてくれたのでした。