メイドインジャパンが世界を席巻した時代

日本が大幅な高度経済成長を達成できたのも、戦後復興から都市開発や三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)に代表される生活用品の大変動などの「内需」が有ったことも一つの要因ですが、輸出による外需獲得が大きかったことは外せません。現在の経済大国日本を支えているのも貿易に拠る所が大きいのです。そしてその外需獲得の立役者が製造業であり、その高品質から、日本製品が「メイドインジャパン」としてブランド化していった事がその要因でした。

製造業を中心に経済復興を考えていた日本は、国がその発展を後押しをしたという事も有りますが、それと共に、日本人が持つ「ものづくり」に対するモチベーションの高さ、創意工夫や団結力が日本独自の製造業を造り上げていった事が大きいと言えるでしょう。特にその技術、製造工程が注目されたのですが、その代表格と言えるのが電化製品のソニー、自動車のトヨタ、ホンダでした。その中でもソニー・ホンダは、戦後小さな零細企業から地道な研究、技術やアイデアで世界企業まで築き上げた高度経済成長時の代表企業だったのです。

戦後日本は工業において諸外国から技術的にも設備的にも大きく差を付けられ後進国でした。日本製品で輸出できたのは繊維工業ぐらいなもので、後はコストの安さで勝負できるぐらいのものでした。ソニーはポータブルラジオ・ウォークマンで世界中に名を知らしめたメーカーですが、やはりそれも技術・アイデアによるものでした。特にポーラブルラジオの機能性・性能がNASAで評価され、宇宙飛行でそのポータブルラジオが使われた事がそのきっかけとなりました。世界最先端の技術が集まる宇宙飛行でメイドインジャパンが使われたことは当時、日本に強い自信を与えてくれたのです。

またウォークマンが世界中で大流行したこともメイドインジャパンを広く知らしめるきっかけにもなりました。現在でも日本製は高品質で世界中で知られていますが、まずは電化製品の分野でそれは広まっていったのです。メイドインジャパンが海外で売れるという事が国内での産業に与えた影響が大きく、技術開発や設備投資に資金を投じるきっかけとなったのです。

ホンダは良く知られる逸話として、官僚主導の経済政策に真っ向から反抗して自動車産業に乗り込んだ、というのが有りますが、この「ものづくり」をベースにした企業家精神というのが実に日本人好みの逸話なのではないでしょうか。当時経済復興が段々と成され、産業も形ができてきたとはいえ、自動車産業はアメリカのお家芸で有り、日本の自動車など話にならないというのが常識でした。自由貿易を解禁しようとしていた日本政府はその中で発展途上である日本の自動車産業が海外勢に飲み込まれてしまう事を恐れて自動車メーカーの数を絞って、選抜されたメーカーを国として後押しする事で日本の自動車産業を守ろうとしたのです。

しかしホンダの創始者である本田宗一郎氏はそれに真っ向から反対し、法的な規制が掛かる寸前に自動車産業への進出に乗り出したのです。政策を推し進める官僚たちから強い反発が有りましたが、それに屈する事無く、やり遂げてしまったのでした。そこには本田氏のものづくりに対して、製品の魅力・品質で勝負して負けなければ決して海外製品に飲み込まれる事は無いという確固たる信念が有ったのです。

もちろん日本の産業発展に行政主導の成長戦略が有ったことは確かですが、その根本にはものづくりに対する熱い日本人の企業家精神が有ったという事でしょう。