奇跡と言われた高度経済成長で日本は復興したのです!

日本人の特質というか、美徳というか、良い所がどんどんと国自体の成功に繋がって開花したのが高度経済成長の時代ではないでしょうか。戦争と占領下、政治の混乱という時期を経て経済成長によって国が平和に豊かに向かっていく時代というのはやはり「明るい時代」と言えるでしょう。しかしその奇跡的な復興・経済成長が出来たのはやはり日本人が持つ、特質、美徳が根底に有ったのではないでしょうか。ものづくり日本、というフレーズが日本復興のキーワードとして最近また使われていますが、「ものづくり」での才能が大きく開花した時代でも有りました。

現在でも世界を代表するメーカーである、トヨタやホンダ、ソニー、といった製造メーカーはこの頃に躍進した企業でした。その創業物語は今でもいろいろな形で語られ、日本人の心を捉えています。ものづくりに懸ける想いや、その拘り、執拗にも思える持続性や、一致団結する団結力は日本人の美徳して語られます。確かにそういった特質が前述したメーカーを一大企業に押し上げた要素で有った事はいくつもの書物で語られています。日本国内で無数のそういった成功物語が生まれた時代でも有りました。

日本中が経済復興に沸いたのですが、そのクライマックス・シンボルとなったものが、東京タワー・新幹線・東京オリンピックだったのです。経済復興と同時に着々と変わっていく都市の風景が、これから日本が変わっていくんだ、という事を実感させたんですね。2005年に公開された映画「ALWAYS三丁目の夕日」は大ヒットを記録しましたが、舞台となったのは昭和33年の東京でした。この年の10月に竣工された東京タワーが出来上がっていく姿が映画の中でも見られましたよね。現代とは違った素朴さが街並みや生活に色濃く表れている感じがその当時を知らない世代にも何か懐かしさを感じさせたのではないでしょうか。

この年大衆車の走りともいえるスバル360が発売され、テレビも普及し始めて、段々と国民生活の中に電化製品や車などの機器が出現するに様になり、生活自体も新しい時代が来ることを予感させた希望の時代でもあったのです。とはいえ、まだテレビも何軒かに1台しかなく、近所にテレビを見に行く何てことも当たり前に行われていた時代で、まだ近所付き合いという共同体の有る時代だったんですね。この後の急激な経済発展で大型団地・核家族・一人暮らしが増え、段々プライバシーが作られると同時に近所付き合いが無くなっていく時代に移り変わっていくんですね。

安保条約を締結して辞職した後に就任した池田首相は、着任早々、「所得倍増計画」という当時の国民は誰も信じなかった政策を打ち出しましたが、段々と成長経済に移っている日本経済に、政府から太鼓判が押され、後押しされたわけですから、投資・投機をする企業も増え、国内が挙ってこの経済成長に参加をしたので、その成長率は当初の予想を超えたものになり、正に奇跡の高度経済成長と呼ぶに相応しい復興を遂げたのです。現在の製造業を中心とした貿易立国としての経済大国日本はこの時に形造られたんですね。

労働力も足らずに、若者たちは貴重がられ仕事も困る事は有りませんでした。都心では東京タワーが建設され、みんなデビューしたばかりの長嶋茂雄選手に注目し、テレビの有る家に集まり、休日はエアコンも効かないスバル360に乗り合わせでドライブに行くというのが庶民の充実した生活でした。昭和の一番輝いている時代が来ていたのです。