昭和は驚きの連続!昭和は日本史の中でも激動の時代だ!

歴史の話で日本の国民性を良く表している話として時々語られる事ですが、日本は江戸時代という武士の時代が終わった時、世界は近代兵器を生み出し国力を上げ植民地争奪戦の時代になっていました。ペリー黒船来航で悠久の江戸時代から目覚めさせるられるのですが、その時日本は刀や時代遅れの鉄砲を武器にしているどう考えても植民地の対象となるような小国でした。そこからわずか40年ちょっとで日本は世界屈指の海軍を持つロシアと戦争し勝利するという大偉業を成し遂げる国にまで造り上げます。

しかしそこから40年で日本自体を滅ぼしかねない戦争を行い、本当に滅びかねない焼け野原の事態までになってしまいます。しかし再びそこから40年で奇跡の復興を遂げ、世界2位の経済大国まで上り詰めます。そしてまたそこから40年でバブル崩壊という危機的状況に追い込まれてしまいます。良くも悪くも、国民が一丸となって取り組む事ができる国民性が有るという事でしょうか。まあ国民性はともかくとして、先ほどの話の後半、日本が滅びかねない戦争に突入し、実際滅びかけ、そこから世界2位の経済大国まで登りつめる時代。それが昭和です。

昭和の始めから時代を生きている人は本当に夢でも見ている心持になるのではないでしょうか?実際昭和後半に生まれた私のような人間からすると昭和初期の話なんて本当にそんな事が有ったんだろうかと疑いたくなるような話ばかりです。日本史の中でも昭和というのは激動の時代なのですね。それはいろいろな視点から見る事でいかに激動の時代であったかが理解できると思います。まずは経済構造や体制からですが、経済構造がやはり人々の生活・体制という所に大きく響いてきます。昭和初期日本は農村社会でした。

もちろん工業も有る程度発達段階には有りましたが、この頃の工業は戦争景気の特需による輸出が中心で、内需があまり無かった為、継続的な安定需要が無かった為、産業として発達しませんでした。なぜ内需が少なかったかというと日本全体に占める労働人口の割合がまだ農業従事者・つまり百姓多く、しかも百姓も地主制の下で貧困にあえぐ小作人たちが中心でしたので、内需が拡大する事は無かったのです。こういう構造的な負のスパイラルが有り、昭和初期の日本は全体的に非常に貧しかったと言えるようです。

日本が変わり始めたのは戦後、戦争・戦力を放棄し経済成長に邁進し、工業国へと変身を遂げ、その変化により産業・経済の構造変化を経てからです。それまでは現在の発展途上国の国政とそれほど差は無かったと考えてよいと思います。人口増加も大きく影響しています。昭和初期の時点で5500万人ぐらいで有った人口は昭和の終わりの時点で1億2千万人まで膨れ上がります。そのような変化は、国民の実生活に大きく影響を与えました。昭和の時代のなかで人口も増え、構造的にも変わった日本は、初期と後期では全く別世界になったのです。

もちろん世界情勢の変化も大きく影響しています。昭和初期の時代は世界中が戦争をしていた世界戦争時代です。日本が軍事国家だった時代では有りましたが、なにも日本だけでなく、世界中が軍事国家になっていたといっても過言ではないのです。第2次世界大戦後は、冷戦や東欧・イスラム国の局地戦など戦争は継続していますが、世界的には戦争が少なく平和な国々が増え、民主主義・資本主義が邁進する経済の時代へと変わり、物質的に豊かな世界が急速に広がっていったのでした。つまり日本国内の事情だけでなく、日本を取り巻く世界の情勢も大きく変わった時代だったんですね。