70年安保・学生運動、若者が闘争した時代

日本は再び政治の時代を迎えます。今度は若者、特に学生たちが主人公です。安保闘争には60年安保と70年安保が有りますが、70年安保は学生運動と結びつき、より先鋭、過激な運動となっていくのです。日本が生んだ国際的なテロ組織「日本赤軍」もこの時作られ、その影響は近年まで続きます。この学生運動・政治闘争で学生たちが組織したいくつかは、国家権力と本当に闘い、日本警察の公安も乗り出すものとなります。まだ日本で「革命」を起こそうとする動きが有った時代なんですね。

この背景には冷戦という大きな世界情勢が有りました。まだ世界が資本主義VS共産主義という大きな構図で成り立っており、表だって主要国同士が戦争を起こす事はありませんでしたが、その主権争いは勢力争いとして、途上国を舞台にしばしば顕在化したのでした。資本主義・民主主義代表として「世界の警察」になろうとしていたアメリカがその大国の力でアジア圏に大きな影響を及ぼしていたのですが、抵抗勢力もアジアの中ではたくさん有りました。日本はアメリカ追従の姿勢を取っていましたが、それに反発した若者達がその敵国共産主義のバックに抵抗を始めた、というのが大まかな背景です。

政府・国家権力への抵抗というのが若者たちの本分だった訳ですが、この冷戦下という状況の中で、自然、政府=アメリカ追従に対する為、共産主義への加担がその道筋になったのです。またそうする事で、ソ連・中国と言った後ろ盾も得られる事で、学生たちが実行力・戦力を持ち得る事にも繋がったのでした。実際、警察の公安などがこの学生運動対策として深く関わっていたのも、この共産主義の動きを恐れていての事だったんですね。こうして日本でも安保闘争という形に変えて、資本主義VS共産主義という冷戦構造がそのまま代理戦争として再現されていたのです。

もう一つ大きな事件としてベトナム戦争というものが有りました。1970年代の世界的に一番大きな事件と言っても過言では有りませんが、これは冷戦構造下で行われた一番大きく、被害も甚大で有った戦争と言って良いでしょう。この戦争もまた体面上は、ベトナムの民主主義を掲げる新政府をアメリカが助けるという形を取った、資本主義VS共産主義の代理戦争でした。この戦争で世界が衝撃を受けたのは米軍がベトナムの村々で行った虐殺事件でした。世界の警察と言われたアメリカが一般人を虐殺したという事がその後のアメリカへの不信に大きく影響したのです。

しかし日本の若者が一番衝撃を受けたのは、その事よりもむしろ、それに対して日本政府が何もアクションを起こさなかったという事でしょう。当時の学生運動が極度に過激化していったのは、冷戦下の世界情勢が背景に有ったという事も有りますが、政府・社会に対する不信が極度に高まり、自分達が変えなければいけない、という所までその不信が高まってしまった事に有るでしょう。この当時組織された全共闘という組織は様々な形で全国の若者たちを巻き込み、いくつもの流派を派生していったのですが、一部の過激組織はテロ組織へと変革を遂げていき、いくつものテロ事件を起こす事になるのです。

学生運動の象徴で有った事件としては「安田講堂事件」といって東大生が、東大の安田講堂を占拠して自衛隊と戦う事件が有りました。過激派の連中は連合赤軍というテロ組織を作り、革命政府を作る為、ハイジャックを起こします。有名なよど号ハイジャック事件で、これは日本初の航空機ハイジャック事件となります。また過激派の連中が内部でリンチ殺人事件を起こし最終的に浅間山荘で人質をとり立て籠もる浅間山荘事件というのも有りました。