驚き!軍事クーデターは日本にも有った

昭和の幕開けは実に不穏な空気で幕開けしたわけですが、そこから昭和の前半部分、昭和20年の終戦までは、ひたすら戦争をし続けた20年と言っても良いでしょう。言葉通り、国を上げて戦争をしていたと言っても過言では有りません。その背景として、世界的な帝国主義が邁進する植民地政策が有り、その中で起きた世界的な恐慌・不況が有った訳ですが、国内ではその不安からくる不満は当時の政治に向かい、そのエネルギーは、貧困にあえぐ農村出身が多かった軍隊の青年将校達の間に蓄積されていきました。

そんな中、民間人が起こした血盟団事件などのテロ事件は青年将校たちを大いに刺激しました。それは代表的な軍事クーデター事件、5・15事件、2・26事件と繋がっていくのです。現在でもアジア諸国や東欧諸国で軍事クーデター事件が話題になる事が有りますが、日本でも実はそういう時代があったのですね。ではその5・15事件、2・26事件を背景と共に追っていきましょう。

始めに触れましたが、軍事クーデターの背景として影響が大きかった事柄として、国内の不況、貧困にあえぐ農村という事がありました。昭和5年ごろになると工業・農業共に不況が直撃し、都会では失業者が続発したが帰る故郷にも食い扶持が無く、一方農村では次男・三男・女子は口減らしの為、軍隊へ送られたり、女子は都会身売りされたりという事が日常的になっていった。そういう農村の次男・三男たちが軍部に入り、政治の腐敗を知った時、これは世の中を変えなくちゃいけない、という考えに繋がっていくのはそんなに不思議な事じゃないですよね。

軍隊という力を持った中にいるからこそ、自分達が出来る事が有るという考えに繋がったのですね。実際に経済界や政治家の中で、テロ事件が国内で発生するようになったから、軍部の中の青年将校達に向けられる疑念は当時有ったようで、政治家・経済界のトップは軍部上層部に対して経済的な援助などを行い、それを抑えるような措置を取るよう取り計らっていたという事実が多々あり、昭和5年頃になると、そういった軍部クーデターが起こるんじゃないか、という不安、雰囲気はすでに出来上がっていたようですね。

そういった不穏な空気の中起きてしまったのが5・15事件です。他にも直接原因となるような事件が有った訳ですが、ともかく現政権への不満というのが引き金であった事は間違いありません。昭和7年の5月15日に時の首相であった犬飼毅首相を陸軍と海軍士官が襲い殺害をしたのです。今では首相を軍隊の士官が襲い暗殺するなんて事は日本では考えられない事ですよね。とにかく、この事件の衝撃・影響は大きく、直接的な暴力が世の中変える手段として効果的であるという事が特に軍部内の血気盛んな若者たちに認識されたという事が大きかったのではないでしょうか。

時に満州国が建立され段々発展をして言ってる時代でした。国内では不況で経済が立ち行かない日本を、軍隊ががんばって国外に日本の利益に繋がる領土を広げていっているおかげで解消していっているという図式が何となく広がり、青年将校たちの行動は時に過激だが日本の事を思っての事である、という認識が、これも何となく広がっていき、軍部クーデターの下地はできあがっていたのですね。昭和10年2月26日に日本史上最大の軍事クーデター2・26事件が起こります。総動員1500名弱、当時の政権の主要人物を次々遅い、3名を暗殺、1名重傷という政権を瓦解させる事件が起きたのです。

事件は後に収束しますが、これをきっかけに軍部が圧倒的な力を持つ軍国主義の国へと突っ走っていくのです。